『泥なきところに蓮咲かず』ティク・ナット・ハン

私はときどき、こんなふうに思うことがあります。

「もっと整ってからでないと」
「もっと安定して穏やかでないと」。

カウンセラーである私が、揺れていていいのだろうか、と。

朝起きた瞬間から、どよーんと沈む日もあります。
昨日は元気だったのに、次の日には体が動かないこともある。

「自分ってだめだな」
「本当に価値なんてないのかもしれない」

心も体も、沈み込むことがあります。

けれど、そのたびに思い出す言葉があります。

『泥なきところに蓮咲かず』

美しい蓮の花の下には、必ず泥がある。
表からは見えないけれど、
その泥があるからこそ、花は咲く。

セルフコンパッション(自分への思いやり)の実践の中には、
「苦しみの中の隠れた価値」を見つめる時間があります。

苦しみを通ってきた人の言葉は、深い。
涙ながらに語られる体験の中には、
その人にしか育てられなかった強さややさしさが宿っています。

今はまだ泥のように感じる出来事も、
やがて栄養になっていくのかもしれない。

私自身も、
批判的な自分や落ち込んでいる自分に、
少しずつやわらかいまなざしを向けられるようになってきました。

すると、内側からこんな声が生まれてきます。
「今まで、よくやってきたね」

深い闇の中にいるときも、
私たちの中には、癒える力があります。

そしていつか、
その体験はリソースへと変わっていく。

やがて咲いたその花に、
癒される人がいる。

「話してくれてありがとう」
私はクライエントさんの話を聴きながら、
何度もそう感じてきました。

その涙は、弱さではない。

その体験は、その人にしか咲かせられない花です。

私は、その力を信じています。

泥は、なくさなくていい。
急いで取り除かなくていい。
そのままで、ちゃんと育っていくのだから。

 

参考文献
クリストファー・ガーマー/クリスティン・ネフ
『マインドフル・セルフ・コンパッション プラクティスガイド』

「泥なきところに蓮咲かず」は、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハンの言葉。
苦しみを否定せず、その中にこそ目覚めの種があるという教えを伝えています。